「オッペンハイマー」は画面と音の圧がすごいので3時間飽きさせず、見応えも十分だけど、メッセージは薄め。
今回は新作の「オッペンハイマー」を日比谷のTOHOシネマズ日比谷9で観てきました。3時間の長さに腰が引けていたのですが、意外とお客さんが入っていて、ちょっとびっくり。
アメリカ生まれのユダヤ人、ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)はイギリスに渡って量子力学を学び、アメリカに戻ってバークレー大学でローレンス(ジョシュ・ハートネット)と共に研究を進め、原子爆弾開発のマンハッタン計画に招かれます。当時、彼は共産党との関わりが深かったのですが、推進者のグローヴス(マット・デイモン)はそれを承知で彼を計画のトップに据え、オッペンハイマーの進言でニューメキシコ州のロスアラモスに研究のための町を作り、研究者をそこに集めて、原爆開発を進めます。当初は対ドイツ兵器として開発された原爆ですが、開発中にドイツが降伏、標的は戦争終結の気配を見せない倭国へと変わります。ポツダム宣言前を目標に実験を行い、その成功を見て、原爆は倭国の広島、長崎に投下され、戦争を終わらせた立役者として、オッペンハイマーは時の人となります。さらに、原爆を上回る威力を持つ水爆の開発に携わることになるのですが、原爆開発に対する後悔の念に囚われるようになったオッペンハイマーは反核の発言をするようになり、赤狩りの時代には、彼は共産主義者のレッテルを貼られて、機密事項へのアクセスを禁じられ、表舞台から姿を消すことになってしまうのでした。
原爆の父と呼ばれるロバート・オッペンハイマーを描いた、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「オッペンハイマー」を元に、「インターステラー」「ダンケルク」のクリストファー・ノーランが脚本を書き、メガホンを取りました。フィルム撮影、それも65ミリフィルムにこだわって作った映像だそうで、シネスコサイズの上映だと少しだけ両端が黒くなります。IMAXも意識したフィルム撮影だったようですが、そこまでのスペックが必要な題材かというと微妙な感じでした。映画は、オッペンハイマーが共産主義者かどうかを審査される非公開の聴聞会と、原子力委員会の重鎮であったストローズ(ロバート・ダウニーJr)の長官承認の委員会の様子を並行して描き、その合間にオッペンハイマーの半生を回想風に描き込んでいきます。ストローズがどういう立場の人間かは映画の中であまり説明がなくて、後でプログラムを読んで後付け知識を補ったのですが、この男がオッペンハイマーと陰に陽に敵対関係にあったらしいんですって。ただ、この対立構図が明確になってくるのは、映画の後半になってからでして、その構図が見えてくると、急にドラマが慌ただしく展開するので、私にはドラマの軸が捕まえにくい映画になってしまいました。
お話は実録もので、なかなか全貌がつかみにくい展開なんですが、3時間を一気に見せる映画でした。ノーランの演出はクローズアップを多用したテンション高いのをずっと継続するというもので、良く言えば実録ものでジェットコースター映画を作ったということもできますが、ある意味、緩急のない演出で3時間突っ走ったということも言えます。様々なエピソードを盛り込んでいて、時系列が前後するので、ボーっとしてると前後を見失うところもありました。(結婚前と結婚後のどっちだっけってところで、私は混乱しちゃいました。)
原爆を扱った映画ですと、倭国ですと「ひろしま」「原爆の子」「ゴジラ」がありますが、原爆を落とした側の視点の映画ってあまりありませんでした。そういう意味では、この視点からの映画は新鮮でした。ただ、この映画は、オッペンハイマーという科学者の半生を描いていて、原爆はその人の人生に大きな影を落とすファクターでしかないので、この映画は原爆映画でもありませんし、反核でも反戦でもありません。でも、結構原爆の扱いが大きくて、その割にオッペンハイマーの人となりがなかなか見えてこなかったように思います。(見えないのは私が鈍感なのかもしれませんが) 映画は、オッペンハイマーという人間と、科学と政治の関係、核兵器という世界の構造を変える恐るべき存在の3本の軸で進んでいきますが、そのどれもがどこか浅いように思えてしまいました。普通の作りの映画であれば、こういう感想は持たなかったのですが、3時間の尺と、映像と音響の圧がすごいので、そのパワーの割には、訴えるものが少なくない?って感じてしまって。
作りとして、オッペンハイマーがどういう人間なのかというのは、冒頭、大学で教授に毒リンゴを仕掛けるシーンがインパクトあったのですが、その後はどちらかというと時流に流されていくという感じで、共産主義に染まるのも当時の流行に乗ったようにしか見えず、自分の学問が大量破壊兵器の開発に向けられることにも、なんとなく受け入れて、彼自身のモチベーションがあまり見えてきません。戦後、核の脅威を説くようになるのも、原爆の被害を知ったこともありますが、共産党のかつての仲間に迎合したのが大きいように見えます。量子力学とか原子物理学とかすごい人なんでしょうけど、人となりはそれほどでもない。でも、そんなそれほどでもない人が世界の力関係を変えるような兵器を開発してしまったということを、歴史としてどう捉えるべきかというところがこの映画の見所なのかもしれません。
と言いつつ、この映画を観ていて伝わってくるのは、原爆が世界にネガティブな新しい世界を開いたということ。原爆開発に関与しなかったアインシュタインを対照的に登場させて、オッペンハイマーのやったことを際立たせようとしているのが伝わってきました。ただ、その新しい世界がどういうものかというのが今一つ伝わって来ないのが不思議でした。原爆の直接的な恐ろしさは描写されませんし、原爆のもたらす未来にも具体的な描写はなく、「恐怖の均衡」くらいの漠然としたイメージのみが提示されます。また、政治と科学の関係についても、人間の低次元のエゴが世界を方向を決めかねないという警告レベルのメッセージにとどまっています。ですから、原爆の怖さを知っている人、政治と科学のヤバい関係を知っている人には「ま、そうだね」ってことになりますし、そういう知識のない人には「え、そうなの? 知らんけど。」という感想になりそう。知識のない人がそういうことに興味を持つきっかけになれば、それなりの意義はあると思いますけど、もっと親切に伝えてよとも思ってしまいました。
一方、主人公の周囲の人間を粒立たせて印象に残る演出をしているのは、ドラマに厚みと見応えを与えています。そのおかげで一本の映画を観たなあという満腹感がありましたもの。敵役のロバート・ダウニーJrを始め、マット・デイモン、エミリー・ブラント、ケイシー・アフレック、出番少ない割に印象に残ったラミ・マレックといった面々がキャラが立つ一方で、オッペンハイマーの何だかはっきりしないもやもやしたキャラが好対照となりました。そんな中で、ロスアラモス研究所で責任者に任命されたオッペンハイマーが軍服を着てるのを、同僚に「お前、科学者なんだからやめろよ」と注意されるシーンが印象的でした。流れに流されやすい主人公が調子に乗ったとは言え、自我を前面に出したのは、ここぐらいだったからです。ノーランの演出は登場人物のキャラ采配のうまさが光りました。女性関係がだらしないオッペンハイマーなんですが、浮気男というよりは、自信なさそうな来るもの拒まぬ男に見えてしまったのが面白かったです。恋人や妻に重いキャラの女性を配して、そんな女性にまんまとはまってしまってるように見えるのですよ。
どちらかというと野心家というよりは、周りに流されやすい主人公が世界を変える大量破壊兵器を作ってしまったのは歴史の皮肉なのか、怖さなのか。でも、戦後、彼が反核の立場を取ったというのも、ある意味不思議な気もします。少なくとも終戦当時は、地球の裏側の20万人の市民を殺した結果、多くの米兵やその家族を救ったという認識だったわけですから、勝戦国の立場で彼がヒーローとなることはおかしなことではないように思えます。彼の周囲で反核を唱えた人間は、共産党のソ連サイドの人間であって、彼に情報を渡せというような連中なのですから、そこに広島や長崎の犠牲者への想いはなかったであろうと見えるのですよ。それでも、オッペンハイマーは焼け爛れる人間の幻覚を見て、後悔の念に囚われたのですから、他のアメリカ人と違う視点と感性を持っていたのではないかしら。
この先は結末に触れますのでご注意ください。
オッペンハイマーが共産主義者であるという情報を横流ししたのは、ストローズでした。彼は個人的にオッペンハイマーが嫌いで彼を追い落とそうと画策したのですが、最後にはそのことも公になってしまいます。晩年のオッペンハイマーは過去の業績を認められるようにはなるものの、反核の立場を取り続けることになるのでした。
戦争に勝って、一躍時の人になったオッペンハイマーは、ホワイトハウスにも招かれるのですが、そこでも自分の作った爆弾で多くの人を傷つけたことを後悔していると言って、大統領を怒らせてしまいます。「彼らが恨むのは、爆弾を作った君じゃない。落としたワシを恨むんだ。」と明快に言い切るトルーマン大統領(1シーン出演のゲイリー・オールドマン怪演)の言葉の重みが印象的でした。そうなんだけどと思いつつ、そういうものを現実化した人なんだから責任ないとも言えないよなあ。でも、多くの人間が参加していたレースで、たまたま彼が先頭でゴールしただけであって、彼が途中でリタイアしても、他の誰かが原爆、そして水爆を完成させていたこともきちんとこの映画では描かれていますから、大統領の言った言葉の重さはもっと認識されるべきものだと思いましたです。
盛りだくさんな内容の3時間なので、観客を退屈させないように、ずっとテンション高い演出をしていたのかもしれません。こういう題材を娯楽映画の態で作って多くの人の目に触れさせようという戦略であれば、それは見事に当たっていると思いますが、映像や音の圧の割には、メッセージよりも匂わせが多いので、物足りなさも感じてしまいましたから、采配が難しいところです。反戦や反核といったイデオロギーを前面に出した場合、この映画の作りだと、プロパガンダ映画になってしまうので、それを避けたのだともいえそうです。その分、こういうお話だけど、3時間一気に突っ走るライド感を作り込んだ見識は賛否が分かれそう。
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